昭和14~15年にはミシンが50台近くありましたが、
戦争により工場は焼け、社員も兵隊として取られてしまいました。
昭和21年、社内には僅かな人しかいない状態になりました。
なので、すぐに人を増やし、焼け跡からの木材を利用して再建していったのです。
昭和27年には効率化を考え、3社に分けたうちの名古屋漂白を林製帽と合併させます。
戦前、林八百吉商店は仕入から販売まで全国的に手広く活躍していましたが、
戦争により企業整理、卸先も仕入先も経営者の代替わりなど様々な要因もあり、
戦後は、ほぼゼロからの出発となりました。
