お知らせ HOME > お知らせ > ライブラリ&ヒストリー > 128年の歩み⑧ 128年の歩み⑧ 日露戦争後、欧米市場の不況と麦質の不良などにより 輸出が止まり苦難の時代になりました。 輸出がダメなら帽子そのものの製造を行おうと考えた人たちが現れてきました。 真田の輸出はふるわなくても、帽子そのものの売れ行きが好調だったためです。 幸太郎ものその時に麦稈真田の輸出から帽子の製造へと転出しています。 前へ < お知らせ一覧に戻る > 次へ