お知らせ HOME > お知らせ > ライブラリ&ヒストリー > 128年の歩み⑥ 128年の歩み⑥ ドイツ製環縫いミシンの導入までは、麦稈真田の大半は海外への輸出用として作られていたのですが、 ミシンの導入によって愛知県内でも大量に加工されるようになっていきました。 明治26年頃から八百吉は、大工を行うかたわら副業として 麦稈真田を貿易商社へ販売するための買い付け及び染色を始めていました。 そして明治28年には本格的に麦稈真田の取り扱いを行うようになっていきました。 しかし麦稈真田の貿易の仕事はまだまだ不安定なものでした。 前へ < お知らせ一覧に戻る > 次へ