
創業者の八百吉は、安政2年~3年(1854 – 1858)に誕生し昭和5年に75歳あるいは76歳で亡くなりました。
八百吉は男5人、女2人の7人兄弟の長男でした。
生家は農業を営んでいましたが、八百吉は家を出て大工となりました。
諸説ありますが、男5人で畑を小さく分けるよりも独立の道を選んだとされています。
明治維新の時、八百吉は12~13歳でした。
少年時代をはさんで、新旧2つの異なる価値観の時代を積極的に生きようとした一人の人物を見ることができます。
それが、帽子という西洋的なものへと結びついていったと考えることもできます。