帽子業界も海外から輸入されたミシンを使っていました。
主に麦稈真田に使われたミシンはドイツ製のカン縫いミシンでした。
手縫いから手回しミシン、足踏みミシンと進化し生産効率は上がっていきました。
ただ海外のミシンは壊れやすく、修理専門業者がいたほどでした。
その中で1928年(昭和3年)安井正義・貫一兄弟がミシンの国産化を目指しました。
「昭三式カン縫いミシン」と当初は名づけられましたが、
漢字の名前だと外国製ミシンの横文字を見慣れた目にスマートではないということで「ブラザー」に落ちつきました。
そのようにして、BROTHERの商標をつけた最初の製品が誕生しました。