お知らせ
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2022.08.17
帽子の知識
帽子の歴史:ミシン⑤
1934年(昭和9年)安井ミシン兄弟商会から、「ブラザー工業株式会社」となり今に至ります。 安井ミシン兄弟商会は、弊社のある名古屋市熱田区から始まっていて、帽子業界と縁の深い間柄でした。 国産ミシンの開発費には大変な資金がいるので、 資金調達で思い付かれたのが麦わら帽子の成型をする水圧機でした。 水圧機を完成させ、ミシン修理の傍ら販売して資金を貯めたのです。 そこから世界のブラザーが生まれました。
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2022.08.17
帽子の知識
帽子の歴史:ミシン④
帽子業界も海外から輸入されたミシンを使っていました。 主に麦稈真田に使われたミシンはドイツ製のカン縫いミシンでした。 手縫いから手回しミシン、足踏みミシンと進化し生産効率は上がっていきました。 ただ海外のミシンは壊れやすく、修理専門業者がいたほどでした。 その中で1928年(昭和3年)安井正義・貫一兄弟がミシンの国産化を目指しました。 「昭三式カン縫いミシン」と当初は名づけられましたが、 漢字の名前だと外国製ミシンの横文字を見慣れた目にスマートではないということで「ブラザー」...
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2022.08.17
帽子の知識
帽子の歴史:ミシン③
1854年(江戸時代後期)日本に初めてミシンが来たのは黒船2度目の来航の献上品だったと言われています。 1864年にはジョン万次郎がお土産として持ち帰ったと言われています。 1881年に東京で開かれた展示会でミシンは一般公開されています。
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2022.08.17
帽子の知識
帽子の歴史:ミシン②
ミシンは1790年英国のトーマスセントがミシンの構造原理を発明。 そして1810年ドイツの靴職人クレムスが現在のミシン針の原形を発明し、 その後アメリカのウォルター・ハントが現在のミシンとほぼ同構造のものを開発しました。 そして1845年にエリアス・ハウがアメリカで5番目の特許を取得しました。 これが本縫いミシンの源流となった発明でした。 さらに1851年、従来の欠点をすべて改良した回転ガマを使った錠縫式(じょうほうしき)ミシンが考案され、 特許をとりシンガー社が設立されまし...
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2022.08.17
帽子の知識
帽子の歴史:ミシン①
明治34年ごろまでは環縫いミシンでした。 明治35年から36年に本縫いのミシンがアメリカ・シンガー社から初めて輸入されました。 明治の終わりには帽子業者のミシンがほぼシンガー社になり、 昭和10年の輸入禁止まで市場を独占していました。 写真は手回しのフジミシン(一本糸の環ミシン)は明治25年ごろにドイツから輸入されたものです。
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2022.08.17
帽子の知識
帽子の歴史:ジャンバルテと林八百吉②
2000年ジャンバルテ氏の死去後は、右腕であった金子女子に監修をお願いして今に至ります。 エッフェル塔の見えるジャンバルテ氏のお宅にも招待され、大きな意味でパリの帽子文化を知ったことが今も生かされいていると思います。 現在弊社に何点かジャンバルテ氏の作品を保管し、機会があるときに公開しています。 ジャンバルテ氏のアトリエで撮ったライセンスマスターでビジネスパートナーの金子社長と弊社の社長との写真です。
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2022.08.17
帽子の知識
帽子の歴史:ジャンバルテと林八百吉①
1996年1月、弊社社長がパリにあるジャンバルテのアトリエを訪問しました。 これは当時の写真です。 ライセンス契約を結んだ当時は、フランスのアトリエでも帽子を作り 日本国内の工場でもライセンス商品を生産して販売していました。
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2022.08.17
帽子の知識
帽子の歴史:ジャンバルテ⑭
ジャンバルテは、1998年の映画ジャンレノ主演「ビジター2」の帽子を製作しています。 ウェディングシーンには本人も出演していました。 ゴージャスな女性物の帽子を得意としたジャンバルテですが、メンズ帽子も手がけていました。 写真は、マイケルジャクソンのための帽子です。 ベロア素材で光沢の美しい帽子です。
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2022.08.17
帽子の知識
帽子の歴史:ジャンバルテ⑬
1994年には映画「プレタポルテ」の中でソフィアローレン着用の帽子は全てジャンバルテが作っていました。 ジャンバルテは2000年に亡くなっていますが、病床にあった1999年にはソフィアローレンが中心となり ジャンバルテの絵画展が開かれたことからも40年にわたる友情がうかがえます。 美しいソフィアローレンの帽子を仕上げているジャンバルテの写真です。 この帽子は日本に保管されています。
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2022.08.17
帽子の知識
帽子の歴史:ジャンバルテ⑫
写真はソフィアローレンの帽子をデザインしているジャンバルテです。 イタリアの大女優ソフィアローレンとジャンバルテは深い絆で結ばれていました。 ジャンバルテは何千という数の帽子を彼女のために作りました。
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2022.08.17
帽子の知識
帽子の歴史:ジャンバルテ⑪
1962年~65年にかけて、平田暁夫氏がジャンバルテの教えをこうためにパリのアトリエに勤めていました。 この時彼は、オートモードの巨匠と言われていたジャンバルテからオートモードの神髄を習得して帰国したのです。 チップの作成など全てが彼から日本に伝わりました。 日本に帰国後、彼の元にはデザイナーのミヤケイッセイやコムデギャルソン、ヨウジヤマモトなどファッションショーの帽子や 国内外のセレブ帽子、日本の皇室からも依頼が来るようになりました。 皇室帽子デザイナー、平田暁夫氏の誕生で...
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2022.08.17
帽子の知識
帽子の歴史:ジャンバルテ⑩
ジャンバルテは精力的に芸術活動を広げていきました。 1964年4月にジャンバルテは初来日しています。 来日した際には、サロンドシャポー帽子学園で帽子の技術講習会を行いました。 さらに、日本橋の髙島屋では紙の造形展を開きました。 帽子はもとよりドレスもすべて紙という新しい展示会でした。